その日木ノ葉の里を通じてカカシの元へ一通の手紙が届いた。差出人の名前は富士風雪絵とある。随分懐かしい名前を見たものだとカカシは目を細め、白い封筒を丁寧に開いた。
 入っていたのは白い便箋が一枚と映画のチケットらしきものが数枚、それに三つ折りにされたチラシだった。白い便箋には六花の浮き出しが施されており、開いた瞬間ふわっと清廉な香りが漂った。
 時候の挨拶と近況、そうして三年ぶりに銀幕へ復帰したことの報告が簡潔に書かれており、ぜひ七班のみんなで見に来て欲しいと結ばれている。
 三年前、まだ七班が下忍としてスリーマンセルで任務に当たっていたとき、女優富士風雪絵の護衛を依頼されたことがあった。
 富士風雪絵の正体は雪の国の先代君主の一人娘、風花小雪である。単なる護衛任務だったはずなのにいつの間にやら雪の国のお家騒動に巻き込まれ、結局七班は小雪が君主になる片棒を担いだ格好になったわけだ。
 風花小雪は雪の国の正式な君主となったが、それでも女優活動をやめたわけではない。君主であり、女優でもある。その困難な道へと足を踏み入れた。
 だが、騒動の最中最も信頼の置ける片腕だった浅間三太夫を失い、さすがの彼女も当面は女優としての活動を休まざるを得ない状況となっていた。あれから三年、少しずつ雪の国は落ち着きを取り戻し、半年ほど前から時折富士風雪絵をテレビで見かけるようにはなっていたのだ。
 そうして遂に復帰第一作目となる映画が決定、公開となったわけである。カカシに送られてきたのはその映画のチケットだった。
 チラシを開けば紅蓮の炎の中に立つ富士風雪絵の全身ショットと映画のタイトルが書かれている。映画のタイトルは「宿命」とあり、富士風雪絵に被るように、この日に勇気を――、というキャッチコピーが入っていた。
 富士風雪絵は祈るように挑むように炎に巻かれながら両手を胸の前できつく握り合わせている。定められた運命に抗うのか、それを全て呑み込むのか、映画を見るまでは分からない。
 裏に簡単なあらすじが書かれているようだが、カカシはそれに目を通さないまま封筒へ戻した。あとは見てのお楽しみ、としておこう。
 招待チケットは十枚ほど入っているようだ。一枚は自分でもらうとして、あとはサクラに渡してしまおう。
 富士風雪絵が望むように七班の全員で見に行ければいいのだけれど、今里にいるのは自分とサクラの二人だけだった。サスケは里を出奔しており、ナルトは修行の旅に出た。七班は解散し、サクラも医療忍術を極めるため五代目火影、綱手の元に弟子入りしている。
 カカシは新しい子供達を見ることもなく、上忍として淡々と任務をこなす日々を送っていた。このところ特定の相手も作っていないため映画に誘いたいと思う人もいない。雪絵の活躍については気になるから映画は見に行こうと思うものの、一人で行くのが関の山だ。
 そんなこんなでカカシはサクラを探し、残り映画のチケット全てを手渡した。
「え、こんなに?先生は一枚でいいんですか?」
「まぁ、オレ誘う人もいないし」
 綱手の元で一通りの理論を学んだサクラは、近頃は木ノ葉病院に詰めていることが多い。今日も任務後に病院付属の研究施設で新薬の開発にいそしんでいるようだった。
「一人も?」
「そうね」
 念押しされるとなんだか辛い。数少ない友人達は映画に誘うような間柄でもないし、上忍師になる前はずっと外勤だったからそもそも里内に知り合いがほとんどいない。
 カカシとチケットの間で怪訝そうに視線を彷徨わせるサクラになんだか居たたまれない気持ちになって、早々にその場を立ち去ろうとした時だった。コンコンと小さなノック音が聞こえ、開け放たれたままの扉から意外な人物がひょっこり顔を覗かせた。
「あ、イルカ先生」
「サクラ、頼まれてた本見付かったから…ってカカシさんじゃないですか。ご無沙汰してます」
「あぁ、イルカ先生どうも。お元気そうで」
 現れたのはアカデミー教師兼受付のうみのイルカである。かつて七班の教育方針を巡り小さないざこざはあったものの、内勤の忍の中では比較的親しくさせてもらっている人物だった。
 近頃は内勤の忍も里外任務に駆り出されているせいか、受付所でイルカの姿を見かけることがあまりなくなっていた。そのイルカがどうしてここにいるんだろう。
「私がイルカ先生にアカデミーの書庫にある本を探して欲しいって頼んでたんです」
 カカシの困惑を感じ取ったのか、サクラがわざわざ説明してくれる。相変わらず気の利く子だ。
「サクラ……。お前ね、先生を顎で使うんじゃないよ」
 イルカだって忙しいだろうに、わざわざ元生徒のために骨を折ってくれるとは相変わらず気がいいというかお人好しというか……。
「はぁい。先生ごめんなさい!でもすっごく助かりました!ありがとうございます」
 窘められたくらいでは微塵も堪えないサクラである。まぁ分かってましたけども。カカシはふうっと溜息を吐いて見るともなしにイルカの差し出す本に視線を向けた。
 薬草事典と医療忍術関連の本、それになぜか山野の歩き方、などという本まで持っている。サクラは薬草採取も自分で行っているというからまたどこかの山にでも行く気なのかもしれない。逞しいことである。
「どういたしまして。あまり無茶するなよ」
「はーい」
 手渡された本をウキウキと受け取ったサクラは、ふと気付いたようにカカシとイルカに視線を向けた。
「先生達って仲良いんですか?」
 唐突な質問に面食らったのはカカシだけではなかったようで、無意識に向けた視線がイルカとかち合う。
「悪くは、ないけど」
「仲良いってほどでもない、かな」
 顔を合わせたら挨拶はするし世間話もするけれど、個人的に飲みに行ったことはない。イルカとカカシはまさに職場の付き合いという関係だろう。
「じゃあ親睦を兼ねて二人で行かれたらどうです?はい、これ」
 差し出されたチケットを前にイルカの困惑は更に深まっている。まぁ当然だろう。
「え?」
 ほとんど無意識にチケットを受け取ったイルカにサクラはなんだか満足げに笑った。
「なんでそうなるの?」
 よく知りもしない相手と映画ってハードル高くないか?いや、まぁ映画中は話す必要もないから終わったら別れればそれほどハードルは高くないのかもしれないけれど、だがしかし。
「カカシ先生なんか近頃すっごく枯れてる!女性と付き合う付き合わないは色々あると思いますけど、誰とも遊んでないんじゃないですか?」
 え、なんでオレ元部下に突然こんなぐさぐさ抉られてるんだ。女は面倒だし別に頻繁に友達と飲みに行く必要も感じない。アスマと紅の邪魔はしたくないし、それ以外の友達で思いつく人物とは絶対に飲みに行きたくない。だがしかし、枯れてるってちょっとひどくないですか。さすがに先生傷付いちゃうんですけど。
「ちょっとは交友関係広げた方がいいですよ。巻き込んじゃったイルカ先生には申し訳ないけど、でもイルカ先生富士風雪絵好きだって前言ってましたよね?」
「え、これ、富士風雪絵の新作映画のチケットなのか?」
 ひたすらに困惑していたイルカはサクラの一言にぱっと表情を明るくした。あ、そういうこと?なるほど?
「ですです。雪絵さんから招待チケット届いたんですけど余っちゃって。それにカカシ先生一人で行くとかいうし、だったら先生一緒に行ってあげてくださいよ」
 行ってあげてくださいってそんな。ていうかサクラ、近頃綱手姫にちょっと似てきてる気がするんだけど、気のせいだよね?どうか気のせいであって欲しい。
「富士風雪絵本人からもらったチケットなのか!それはすごいなぁ。嬉しいなぁ。先生もらっちゃっていいのか?」
 富士風雪絵の一言でイルカの態度はころりと変わっている。大概現金だ。どうやらイルカはかなり富士風雪絵のファンであるらしい。
「カカシ先生と一緒に行ってくれるならね」
 念押しをするサクラにさすがにカカシも待ったを掛けた。
「おい、サクラ。なにを勝手な……」
 イルカにだって都合はあるだろうし、なによりオレの意思は全無視ってどうなんですかと先生は問い質したい気持ちでいっぱいです。イルカと交流を深めるのはやぶさかでないけれど、それなら映画に行くより飲みに行きたい気がする。
「カカシさんが構わないならオレはいいけど……。それにしても富士風雪絵本人からの招待状を譲ってもらえるなんて、オレは今人生で一番幸せだよ」
 なにそれ。人生で一番?唐突に零れた随分と大げさな一言に目を剥いたカカシとは裏腹に、サクラは肩を揺らしてふふっと笑った。
「先生大げさ!先生ってよく人生で一番幸せって言いますよね」
 イルカの肩をぱしぱし叩いてサクラは笑っている。
「わりといつも幸せだからな」
 朗らかなイルカの笑顔に嘘や誇張は見えなかった。本当にそんなことをこの人はいつでも思うんだろうか。この厳しい世界で忍という職業に就きながら、まだそんな甘っちょろいことを本気で思える人がいるんだろうか。
「先生のそういうところ私好きです」
「いやぁ、サクラにそう言ってもらえるなんて、オレ今人生で最高に幸せだな」
「ほらまた。今のはわざとでしょ」
 軽口を叩き合う二人はカカシとは違う世界に住んでいるのかもしれないとさえ思えてくる。なにか、根幹のところがあまりにも違っている。そう思えてならない。けれどあの二人の間にある空気はひどく優しくて温かそうだった。
 イルカという人間に、今まで感じたことのない興味がふっと湧いた。この人は本当はどんな人なんだろう。
「ははっ。まぁそれはさておき、ほんとにいいのか?」
「もちろん!カカシ先生のことよろしくお願いしますね」
「……サクラ、お前ねぇ……」
 イルカに少しだけ興味が湧いたのは確かだが、それはそれこれはこれ。勝手によろしくするな。じとりと見つめてもサクラはどこ吹く風だ。溜息を吐くカカシを宥めるようにイルカは両手を挙げてまぁまぁと笑った。
「オレじゃご不満かもしれませんけど、たまには誰かと映画もいいもんですよ」
「ご不満はないですけど、はぁ……」
 ご不満ではないが、上司と映画だなんてイルカ自身は気まずくないんだろうか。本来なら同僚や友人、いるかどうかは知らないが恋人と行った方が楽しいだろうに。
「里の誉れと映画をご一緒出来るなんてオレは本当に幸せ者です。今が人生の絶頂期ですね」
「なにそれ。先生って変な人ですね」
 にこにこと満面の笑みを浮かべるイルカになんだか色々考えるのもバカらしくなって力が抜けた。変な人。でも全然不快にならない人。イルカは不思議な人だ。カカシは肩を竦めて改めてサクラへと向き直る。
 こちらの遣り取りにどうしてサクラがそんな満足そうな顔をしているのかは分からないけれど、教え子もイルカも楽しそうだからまぁいいか。
「ふふっ。ま、先生達はそろそろお暇するけどサクラは引き続き頑張れよ」
 無意識なのだろう。イルカは本当に自然な仕草で手を伸ばし、サクラの頭をぽんと撫でた。初めて出会ったときと比べて随分と大人びたサクラの顔が、ほんの一瞬あの頃に戻った。イルカの前では、今でもみんなアカデミーの生徒のままなのかもしれない。
「あんまり根詰めないよーにね。サクラは映画誰と行くの?」
 イルカに倣ってカカシもサクラの頭をぽんと撫でる。サクラはちょっとだけ気恥ずかしそうに笑っただけだった。やはりイルカは別格であるようだ。それはそれでなんだかちょっと面白くないんですけど。
「取りあえずいのとヒナタ誘って、あとは同期連中にあげるかな~って思ってます」
 本当に誘いたい相手は、今はサクラの手の届かないところにいる。滲む切なさを押し隠して笑うサクラは先程とは打って変わってすっかり大人の顔をしている。この年頃の子供は一瞬一瞬で随分と違う顔を見せる。
 きっとイルカはそんな子供達を大勢見てきたはずだ。いつかイルカと、そういう話もしてみたい。なんとなくそんなことを思った。
「そ。ま、新薬の方頑張って」
「はーい。先生達も仲良くね」
「へいへい」
 ひらひらと手を振って研究室をあとにする。じゃあまたな、とイルカもカカシの後ろに続いた。
「カカシさん、いつにします?」
 横に並びもらったばかりのチケットをひらひらさせながらイルカはウキウキと尋ねてきた。ほんとに行く気なのか、そうか。どうせサクラからちゃんと行ったのか問い質されるに決まってるから、行っておいた方が面倒くさくはなさそうである。
「そうですねぇ…。これもう公開してましたっけ?」
「来週からみたいです。二十四日からだそうですよ」
「二十四日かぁ…。まだちょっと来週の予定が分からないんで、週が明けたら予定すり合わせしますか」
「そうですね!楽しみだなぁ。初日に行けるといいですね!」
 てくてくと病院の廊下を歩くイルカはいい笑顔で笑っている。人生で一番幸せって顔だ。
「先生今もしかして人生で一番幸せ?」
「もちろん!」
 イルカははっきりと頷いて満面の笑みを見せた。随分と安い一番もあったものだと思うけれど、それはそれで悪くない。釣られてカカシもふふっと肩を揺らしてしまう。イルカの人生は一番の大安売りだ。そんな人初めて見た。
「来週からまた冷え込むそうですよ」
「いよいよ冬本番って感じになってきましたねぇ」
 廊下の窓からはうららかな冬の日差しが差し込んでいる。それは年の瀬の押し迫るある晴れた日の出来事だった。

written by 篁こと(@kachiwari_koto)

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